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だから歩いていくんだよ。のブログ

岐阜県内の観光や祭、地域情報がほとんど。

陶芸教室(?)2019年9月

 今日は例月の陶芸教室に行ってきました。
 今日の仕事は、先月絵を描いたねずみの箸置きへの釉掛けです。
20190804_陶芸教室(?)2019年8月02
 他のものにも釉掛けしました。
20190914_陶芸教室(?)2019年9月01 20190914_陶芸教室(?)2019年9月01 20190914_陶芸教室(?)2019年9月02
 釉掛けは、まさしく仕事というか、作業なの。あんまり頭は使いません。(*´Д`)
 案の定、すぐに終わってしまったので、今度は、さらに前に作った黄瀬戸の銘々皿に釉掛け。
20190511_陶芸教室(?)2019年5月08
 まず、黄色をつけて、それから釉掛け。
20190914_陶芸教室(?)2019年9月03 20190914_陶芸教室(?)2019年9月04
 裏側は、焼成するときに流れた釉がくっついてしまわないように、底に着いた釉を落とします(箸置きなども同様)。
20190914_陶芸教室(?)2019年9月03_
 この後もまだ時間があったので、以前作った一輪挿しと花器に呉須で色塗り。
20190914_陶芸教室(?)2019年9月05 20190914_陶芸教室(?)2019年9月07 20190914_陶芸教室(?)2019年9月06
 こちらも釉掛け完了。
20190914_陶芸教室(?)2019年9月08 20190914_陶芸教室(?)2019年9月09
 がんばりました。
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テーマ:陶芸 - ジャンル:趣味・実用

お花の活け替え

 先日、同じ職場の人の結婚式に呼んでいただいたんですが、帰りに、テーブルに活けてあったお花をいただきました。
 これ。
20190908_お花の活け替え
 同じテーブルに座った人は男性ばっかりだったので(?)、私に譲ってくださったの。
 お花をいただくというのは大変うれしいのですが、でも正直を言うと、大概の場合、部屋に持ち込むと思いのほか大きいので飾るところに困るのよねぇ。
 と思って、持ってきたら、やっぱりかなり大きいので、しばらく玄関に飾っていました。
 でも、さすがに3日も経つと、つぼみが開く一方で、しおれてくる花も出てきたので、今日、元気な花だけを活け替えました。
20190911_お花の活け替え04 20190911_お花の活け替え02 20190911_お花の活け替え05 20190911_お花の活け替え07
 最初は、2~3輪だけ一輪挿しに刺して、後は大きめの鉢に活け替えるつもりでしたが、いざオアシスから抜いてみたら、茎の長さがほとんどないことがわかったので、小さい鉢に分けて活けました。
 ただ、ご覧のとおり、つぼみが開きかけているユリはどんな活け方をしても異様に大きくてバランスが悪いんですけど、無理やり活けました。(^^;)
 鉢が軽いと頭が重くて倒れてしまうので、自分が一輪挿し用に作った花瓶?を使いました。
20190911_お花の活け替え01 20190911_お花の活け替え03 20190911_お花の活け替え06 08
 花が多少重くても倒れないように重く作ってますからね。えへん(*´Д`)

テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記

岐阜聖徳学園大学公開講座「いのちの見えてくるとき」

 昨日は、仕事が終わってからダッシュで聖徳学園大学へ移動して、生涯学習講座を聞いてきました。
20190909_岐阜聖徳学園大学公開講座01 20190909_岐阜聖徳学園大学公開講座02
 6月の公開講座も案内状はもらってたんですけど、ちょっと都合が悪くて行けなくなってしまったので、「これは聞くぞ」と思ってました。
 客員研究員の人のお話なので、初めてお話をお聞きする人でした。桃井信之さんという方でした。
 ただ、昨年も書いているのですが、こういうファジーなタイトルのお話は、ちょっと聞きにくいです。多分、90分という尺に合わないんだと思います。これは、今年の夏季大学でも思ったので、また後日、書きたいです。
 発掘の報告会とか、歴史の検証とかだと、謎解きみたいで楽しいし、知らない知識をいろいろ教えてもらえる形の講義も聴きやすいですが、葬儀のときにお坊さんが話される説教みたいな内容なので、「講座を聞いてメモしよう」と思う聴き方には合わないのかもしれません。
 それでも、いくつか、気になった言葉を書き留めてきました。
 この方は、現在、北海道の光信寺というお寺のご住職で、以前は聖徳学園大学の助教授をされていたそうです。
 祖父に当たる方が富山県から北海道に移住して、拝み小屋を造られて、それが今のお寺になったそうですが、当時、移住してきた方は、富山、福井、石川、岐阜、広島などの地域の人が多いんだそうです。当時、人口が多かった地域なのだそうです。
 なぜ人口が多いのかといえば、浄土真宗の門徒は間引きをしないので、門徒の多い地域は人口が多かったんだそうです。
 データを見たわけではないので、私には本当かどうかはわかりませんが、「加賀では大きな一向一揆が起こったなぁ」ということは思いました。
 ただ、間引き自体がどれくらい一般的だったのかということには、ちょっと疑問を持ちました。浄土真宗の門徒が間引きをしないなら、他の宗派(日本の仏教なら)もしないんじゃないかと思いました。……ちゃんとデータに基づいて考えてるわけじゃないので、感覚的なものですけど。まぁ、でも、なかなか興味深い話だと思いました。
 それから、「信心」についてのお話をいただきました。
 信心というのは、阿弥陀様を信ずる心のこと。「阿弥陀様がいるのかいないのかわからないけど、それと信じて阿弥陀様にかけてみよう」という思考は信心ではないそうです。「信ずれば自ずと見えてくる」もののようです。心が育ってきれいになってくると、本当のことがだんだんと見えてくるようです。
 こういうお話を時々お聞きしますけど、いつもわかったような気になるけど、わかんないのよね。(´-ω-`)
 わかんないということは、私はそういう状態にないからわからないということなんだろうな。体験していないことは、誰しも、本当にわかることはないのよ。
 人を亡くしたことがない人に、その気持ちはわからないというのと同じじゃないかな。
 その後、「七仏通戒偈(しちぶつつうかいのげ)←漢字がわからないから、音だけを聞いて頑張ってメモしてきました」のお話を聞きました。
 白楽天と鳥窠(ちょうか)禅師の問答のお話。白楽天が、鳥窠禅師に「仏教において大切なことは何か」と尋ねたときに、鳥窠禅師は「悪いことはしない、良いことをする」と答えたそうです。その答えを聞いて、白楽天が「そんなことは3歳の子供でもわかることじゃないですか」と言ったところ、「3歳の子供が知っていることでも、80歳の老人になっても人はそれをできないではないか」と鳥窠禅師がさらに答えたというお話。
 これが仏様の教えなのだそうです。
 この話そのものじゃないけど、似たような話を前に聞いたなぁと思いました。駄目なこととわかっていても、人というのはやっちゃうのよ。例えば、殺生は駄目だけど、人は殺生をしながら生きてるよね(食べ物はもちろんですけど、害虫も殺すし)。だから、そのことを常に思いながら(罪深い自分を自覚して)、生きていくというようなこと。
 その後、「食う」「食べる」「いただく」という言葉の話に移りまして、「食べるという行為は別の命をいただくこと。食しているものが命あるものだということが見えたら、決して『食う』などとは言えなくなると思う」とのことでした。
 先生が言われるには、「食う」は「食べる」の乱暴な言葉ということではなく、生物の本能的な行為を指す言葉なのだそうです。それは何となく、気分的に同感しました。猛獣が小動物に食らいつくような感じ。ガツガツと生命をかけて獲物に食らいつくような響きが確かにあると思いました。先生が言われるには、「食しているものに対する敬意が見えない」とのことです。
 一方、「食べる」というのは、元は「賜る」からきた言葉なのだそうです。「命を賜る」ということでしょうか。
 それでも、先生としては「いただく」という言葉をお使いになりたいようです。この気持ちは、わかります。
 以前、『さよなら銀河鉄道999』のシーンを思い出した話を書きましたが、また思い出しました。
 「食べる(命を頂戴する)」という行為は、昔々は人間の全エネルギーを注いでようやく成り立っていたものなのに、今は、本当に簡単になっちゃってますよね。
 先生は、「いただきます」と形だけでも手を合わせるのなら、それだけでも、何もしないよりかはよほどマシだとおっしゃっていましたが。
 その割に、昨日の最後に話された蚊取り線香のお話はいかがなものかと思ってお聞きしました。
 海外の安いホテルで害虫の多い部屋に泊まった際、日本から持って行った蚊取り線香を使ったら、朝起きたら布団の上にたくさんの虫の死骸があったと言われたんですが、私はその話を聞きながら「お坊さんなら蚊取り線香ではなく蚊遣り線香を使うべきでは?」と思いました。
 わざわざ虫を殺さなくても、虫をよければいいということです。……まぁ、そう言う私も、多分、余程効き目が抜群な蚊やり線香ならともかく、蚊取り線香を使うんじゃないかなと思いますけど。だって、虫に刺されるということは、何かの伝染病に罹患する可能性もあるのよ。
 難しいけど、まだ私には生きたいという欲があるので、他を殺すのはやめられないと思います。
 生きたいという欲は、誰かを愛するという行為に裏打ちされていると思います。誰かを愛するというのは利己的な行為なので、そのためには、全ての生き物に対して平等に接するなんてことはできないです。……それでいいと、私はかねてから思っていますが、先生は蚊取り線香のお話をされた後で、今度は熊の話をされました。
 野生の熊に対して車から餌をやる観光客がいて、そのせいで、野生の熊が車を見ると車に近寄るようになってしまって大変危険なので、「害獣」として処分されたというお話。
 これは、熊が悪いんじゃなくて人間が悪いというのはごもっともなお話で、「人間の都合で他の命をどうにかできると考えることは、人間の都合で他の人間を殺すことも是認するようになる、だから、相模原障害者施設殺傷事件のような事件も起こると」ということを言われました。
 何となく納得しちゃうんですけど、「では、“被害者”なんだからと言って、この熊は殺さなくてもよいのか」と思っちゃうのよ。何かを守りたいと思うことが、何かを傷つけることになるというのは、仕方がないと思います。その点が、弱いものを一方的に殺戮した相模原の事件と違うと思います。
 もちろん、熊の例を挙げれば、餌をやった人間が悪いんです。でも、その人間と、熊に襲われるのは別の人物なんですよ。そのとき、あなたは何を守りますか、ということ。
 難しいですね。
 もちろん、そんな選択をしなくてもよいように、熊に餌をやらない、人間と熊の生活圏をきちんと分ける、ということを全ての人間が自覚することが大切なのは言うまでもありませんが。
 難しいですね。
 その他、「お経の文字面だけを読んでも理解したことにならない。行間を読んで、何を伝えようとしているのかを考える」とか、「人が死ぬときに浄土から金の蓮の花が迎えに来てくれる」とか、こういう話もなかなか興味深かったんですが、もうずいぶん書いてしまいましたので、今回の講義の感想はこのくらいにしたいと思います。

【過去の関連記事】
思考することと努力すること (2006/09/04)
だれのために生きるのか (2007/03/09)
心の健康管理 (2008/09/06)
食べるということ (2012/02/05)
岐阜聖徳学園大学仏教文化研究所講座 (2015/10/03)
岐阜聖徳学園大学公開講座「お念仏に聞く人生」 (2017/08/20)
岐阜聖徳学園大学公開講座「やさしい仏教の歩みかた」 (2018/09/30)

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210日太子伝会 その2

 一昨日の続き。
 瑞泉寺には、全部で8軸の絵伝があり、7月に開催される絵解きのときには9日間かけて、全部の絵解きをされるそうです。太子の前世から話が始まるのだそうです。
 以前の私なら不思議に思ったでしょうが、今では、仏教のお話が全て前世から始まることを知っているので、納得しました。
 9日間かけて8軸語るものを、210日太子伝会は一日で2軸だけを語るんだそうです。なるほど。
 今年は5軸目と6軸目。太子18歳から29歳まで。青年期ですね。
20190901_210日太子伝会05
 私は物知らずなので、丸一日かけて、2軸だけを語るというのがどうもピンとこなかったです。午前の部と午後の部と同じことをされるのかな、と思ってみたり。
 太子の生涯の10年分というと、「そりゃ、丸一日かかるよね」と思いますけど、軸に描かれている有名なエピソードだけを語るのなら、1時間くらいで全部終わるような気がするんです。
 でも聞いていくうちにわかりました。お坊さんは、絵解きをするだけじゃなくて、いろんな話をされるんです。
 流れとしては、
・口上(昔のお芝居の口調っぽい)
・絵伝というものの説明や、お寺の紹介、仏様の教えなどの前置きっぽいお話(落語の枕みたいなもの?)
・絵伝に沿って、太子の事績を紹介
という感じです。
 例えば、最初のお坊さんは、恐らく瑞泉寺の人だと思うのですが、上に書いたような7月の太子伝会の話や、瑞泉寺の話、絵伝の見方などを話してくれました。
 絵伝は、偶数番号のものは下から上へ場面が移っていくのだそうです。そもそも絵伝は下から上というのが一般的なのだそうです。仰ぎ見るということだそうです。
 ただ、奇数のものは上から下になっているそうです。ということは、番号順に並んでいるので、上から下を見て、次の軸は下から上を見て、というふうに目の動きを考えて描かれているんだろうと思いました。
 ただ、それはよどみなく流れるように話される場合だけの観客の目の動きだと思います。
 お一人、30分くらいずつ話されるので、一つの軸のうちの一場面だけを30分語って、次の人は、次の場面だけを語るというぶつ切りの流れなら、観客の目の動きはあまり重要でないような気がしました。
 話がそれましたが、そういう「枕」に相当するお話をされた後、「軸に描かれているこの場面は、国分のシーン。我が国が仏法の国になっていくために、太子が日本の様子を知ろうと調査に出立する場面です」みたいな感じでお話が始まりました。
 このときはまだ、私は、上の写真の掲示(本日のプログラム)を見ていなかったので、ここから「四天王寺を建立して…」という次の場面に移っていくんだと思ってましたが、お一人一つのエピソードだけを話されるのでした。
 感覚的には、本論?(太子伝のお話)よりも、枕の方が長いと思いました。
 最初はよくわからなかったのですが、「実は、枕に相当するお話が、本当は語りたいこと(民衆に伝えたいこと)なんじゃないかな」と何となく思いました。
 私は、絵解きというのは、紙芝居とか講談みたいなもの(お話が聞きたくてたくさんの人が集まってくる。絵解きを聞くこと自体が目的)だと思っていたのですが、ちょっと思ってたのと違うなぁと思いました。
 むしろ、普通にお坊さんのお説教っぽいと思いました。
 一人で全部話すと思っていたしね。こんなふうに、入れ替わりでたくさんの人がお話されるというのも意外でした。
 もちろん、お寺によって伝わっているやり方は違うんだろうなと思いますけど。
 内容については、知ってるものばかりだと思ってたんですけど、知らないエピソードもありました。
 上に紹介した、お一人目のお話も知らない話でした。
 プログラムによると、太子18歳のときのお話で、「三道に使い」というタイトルがついています。
 4軸目までに仏教受容のお話は終わって、5軸目からは仏教を広めていくお話に移るそうです。
 蘇我・物部の戦いを終えて、我が国が仏法の国となっていくために、太子が調査に出立する(人を送る?)というシーンを描いたもの。これは、全然知らないエピソードです。
 それから、お二人目のお話は、太子22歳のときのこと。「四天王寺建立」のタイトル。
 これは、私知ってます(多分、日本中が知ってる ^^;)。蘇我・物部の戦のときに、太子が四天王に祈願して勝利を得たので、お寺を建立したというもの。エピソードとしてはそれだけのことですけど、併せてお話して頂いた「四十九歳伝燈演説」という言葉に興味を持ちました。
 私は初めて聞きましたけど、恐らく、浄土真宗ではよく聞かれるお話みたいです。
 聖徳太子は49歳で亡くなったのですが、その49年間の生涯のすべてをかけて、仏法を伝えてくださった、というようなことでした。
 「伝燈演説」というのは、仏法で民衆を明るくしてくれたというか、仏法により民衆の心を救ってくれた(ちょっと違うと思うけど、しっくりくる言葉が見つからない。教化されるというのとも違う気がするし)ということ。
 この人が言われるには、昔は神様というのは、基本的には“氏神様”だったので、名のある家しか神様を信仰し守ってもらえなかったけれども、そんな名もなき民衆も救ってくれるのが仏教だったそうです。それを広めてくださったのが聖徳太子なのだそうです。それこそ、49年の生涯かけて仏法を広め、民衆を救ってくださったということでした。
 3人目のお話は、太子23歳のときの「三法興隆の詔」のお話。これも有名なお話で、特段、変わったお話はなかったです。
 ただ、「お寺というのは、大衆が仏様からお照らしを受けるところ」というお話は興味深く聞きました。
 午後に移って、4人目のお話は、太子27歳のときの「ご成婚」。
 太子は何人かの妻を娶っていますが、基本的に語られるのは、そのうち唯一の恋愛結婚と言われている膳部菩岐々美郎女とのエピソード。これもその話なのですが、前段が変わっていました。というか、初耳でした。
 太子は、善信尼と恋仲だったというんです。もちろん、善信尼は出家者なので、初恋は実らなかったんだけど、太子が何度か天皇陛下に出家を願い出るのは、同い年で初恋の相手の善信尼が出家したからだというのよ。もちろん、一緒に暮らすとかそういうためではなく、月に1回、意見交換?のために会えるだけで満足というお気持ちだったというのですが、個人的には、その前振りは要るかなぁ…と思って聞いてました。
 太子伝中、一般的には菩岐々美郎女との恋愛は、ピュアで美しいものとして描かれているのだから、それだけでいいのに。(個人的には賛同しかねるけど ^^;)
 それから5人目のお話は、同じく太子27歳のときの「黒駒」。
 これは、全国から集められた名馬の中から、太子が黒い馬を選んで愛馬にしたというお話。本当かどうかは置いておいて、これも有名なお話です。
 単に馬好きだから、というふうに、私は理解していましたが、この絵解きでは、「輿での移動は大げさだし、その間、たくさんの民衆が仕事の手を止めて平伏するので、太子は機動性のある馬を所望した」ということになってました。
 今で言う、黒塗りのクラウンだそうです。なるほど。この馬に乗って、太子が日本中を巡るので、仏の教えがさらに広がったということでした。なるほど。
 個々の方々のお話は、大体こんな感じでした。
 この5人目のお坊さんは、どうやら瑞泉寺のお坊さんらしく(自己紹介されないので私にはわからないけど、多分、他の人はみんな知ってると思われる)、この絵解きについても語ってくださいました。
 瑞泉寺の絵解きは1717年に始まり、もう300年続いているそうです。ということは、皆さんの家が300年間、参ってくださっているので、現代まで続いているということ。とりあえず300年、あと300年続くように続けていきたいということでした。
 比較的若いお坊さんでしたけど、歴史を背負っている人は違いますね。
 他のお坊さんは、よそのお寺の人のようです。「先ほど、せいりゅうじさん(字がわからない)が語ったようですが」みたいなことを言ってらしたので。
 太子堂の真ん前に停まった車から法衣を着た方が下りる姿も見ましたし。
20190901_210日太子伝会09
 先日も書いたとおり、私は5話を聞いた後に帰ってしまいましたけど、帰りが遅くなっても、やっぱり最後まで聞くべきだったかなぁと、今となってはちょっと後悔です。
 まぁ、でも、見ている限り、そんな人は、お世話役の人達だけみたいですけども。

【過去の関連記事】
210日太子伝会 その1 (2019/09/05)

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210日太子伝会 その1

 先日も書いたとおり、日曜日は出かけていました。
 「ちょっと出かけてきました」と書きましたが、富山県南砺市井波の瑞泉寺というお寺に行っていました。
20190901_210日太子伝会02
 片道3時間近くかかるので、結構遠いです、実は。
 このところちょっと鬱々としているので、強制的に環境を変えて、頭の中も変えるために、土曜日に急に思い立ちました。こういうときには、一人になるというのは大事だし、単にドライブに行くというのもいいんですけど、お参りに行くというのもいいと思います。
 というのも、9月1日に「210日太子伝会」というのがある、とお寺のフェイスブックに書かれているのを見つけたからです。
 瑞泉寺というのは、浄土真宗のお寺で、立派な太子堂があるし、聖徳太子をまつる行事が毎年盛大に催されているお寺なので、私も過去に3度ほど行ってるんですけど、いつも「ちらっと立ち寄る」という程度の訪問なの。
 本当は、7月末頃に開催されている「太子伝会」というのに行ってみたいなぁ、とかねてより思っているのですが、法隆寺夏季大学に行き始めてからは、日にちがバッティングするのでますます行けなくなりました。
 ……と、ここまでが前段。
 お寺については、また後日、書くことにして、ここからは210日太子伝会について、書きます。
 まず、「210日」というのが何かというと、「立春から210日目」で、この時季は、「稲が開花・結実する大事なときですが、台風が相次いで襲来し、農作物が被害を受けてしまうことがよくあり、荒れ日などといわれて」いるそうです。なので、この日を一つの目安として、警戒を呼び掛けるとともに、太子伝会絵解きの参拝により、太子の生涯を通して我が身の生活を見つめ直す日としてもらいたい、というような趣旨で開催されているようです。
 「我が身の生活を見つめ直す」って、いいよね。
 以前にも何度か書いてますが、聖徳太子信仰が民間に広く普及したのは、「聖徳太子絵伝」というものの存在が大きいと思うんです。要するに、文字の読めない人にもわかるように、絵で太子の生涯を見せて、お坊さんがお寺で語って聞かせるというものです。
 という理屈は知ってますけど、私は実際にその場面を見たことがないので、行ってきました。
20190901_210日太子伝会01 20190901_210日太子伝会03
 ホームページの情報では「9時から」となっていましたが、行ってみたら9時半からでした。
20190901_210日太子伝会06 20190901_210日太子伝会05
 道中をかなり急いで、現地に着いたのが8時半頃でしたので、実は拍子抜けでしたが、でも、絵解きをお聞きする前にお堂や宝物殿を拝見できたのでよかったです。
 太子伝会が催されるのは、太子堂。
20190901_210日太子伝会04
 本堂の向かって左隣りにありますが、こんなに大きな太子堂って、あんまりお目にかからないと思います(フツーは、太子像を祀っている小さいお堂)。本堂並みに広くて、たくさんの人が入れます。
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 行ってみたら、椅子が80くらい並んでいました。私が行ったときには、まだ数人しか座っておられなかったのですが、時間が近づいてくると席に座っているのは30人くらいになりました。そのうち、輪袈裟をされている男性が10人くらい、固まって座ってみえました。
 皆さん、ご近所なんだろうなという雰囲気だったので、自分みたいなのが入ってもよいものかと不安になりました。お寺の人(掃除をされていた人)にお聞きしたら、「絵解きがありますから、ぜひ聞いていってください」と言われたので、安心して座りました。
 何となく、熱心な(?)男性(輪袈裟して、ワイシャツ着てたりする)がたくさん座っているエリアと、年配の普段着っぽい女性が多く座られているエリアとに分かれていたので、私は後者の端っこに座りました。
 それから、お取り持ちというか、世話人みたいな年配の男性が4人。
 意外と、参拝者は少ないんだなと思ったのですが、途中で人の出入りがあり、多いときには8割くらいが埋まっているという感じ。三々五々に集まって、同じように三々五々に帰っていかれました。
20190901_210日太子伝会05
 プログラム(?)にもあるとおり、複数のお坊さんが一つずつお話をされて、その合間にカゴを持った世話役の人が参拝者の間を巡られて、皆さんからお賽銭を集めてみえました。一体いくらくらい入れるべきかわからなかったので、最初は千円札を出しかけましたが、よく見ていると、皆さん、カゴに硬貨を入れておられたので、同じようにしました。
 ただ、時々「万人講」というのをお願いする人がいたり、何とかと言って大きなお金を納めている人がいるんですけど、意味は全然わからなかったです。(´-ω-`) ただ、世話役の人に日にちをお伝えすると、世話役の人は帳面にそれをメモしてて、千円とか3千円とかを払ってらしたので、今年亡くなった人のご供養なのかな、と思いましたけど。
 皆さんの様子を見ていると、お話を聞きに来ているというよりも、お参りに来ているという感じ。話の途中でも入ってこられて、お話を一つ二つを聞きになったところで、お金を納めるとお帰りになるという感じ。
 また、お坊さんの入れ替わりのときに(毎回じゃないけど)、聖徳太子像が安置されている厨子の扉が開かれるので、その太子像を拝んだ後にお帰りになるとか、まぁ、そんな感じでした。
 私は最初は全部お聞きするつもりでおりましたが、皆さんに倣って、5人までお聞きしたところで帰りました(だって、翌日、仕事なんだもの)。
 全体の雰囲気としては、そんな感じ。
 明日以降は、絵解きの詳細を少し書こうと思います。

【過去の関連記事】
大塚国際美術館 (2009/07/12)

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