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だから歩いていくんだよ。のブログ

岐阜県内の観光や祭、地域情報がほとんど。

ルーティンの仕事

 昨日、仕事の話を書きましたが、今日も仕事の話を書きます(お休みの日ですけど)。
 現在私が担当している係の仕事は、基本的にはルーティンのものが多くて、昭和40年代からやっている仕事だったり、平成の初期に始まった仕事だったりします。
 どこかで書いたような気もしますが、私はこれまでほとんどそういう仕事をしてきていないのですが、数年経てば書類の保存期限が切れるような仕事と違って、事業の継続性(過去との連続性)を意識しなければならないので、今回の案件を上司に説明する資料を作るにあたっては、随分と過去の資料を見ましたし、資料でわからないことは過去の担当者にも話を聞きました。
 担当の係員はいるんですが、今年は昨年度よりも係員が一人少ないため、そういうイレギュラーな資料作りまで彼にやらせていたら間に合うスケジュールで動くのが難しくなるものですから、例年のルーティンの部分は彼にやってもらい、私は彼に資料の所在を教えてもらって、案件協議のための資料づくりや協議を受け持つことにしたのね。彼は慣れていないだけで、問題なくイレギュラーの対応もできると思うのですが、彼にそういうことを体験させてあげる時間的な余裕がないのが残念です。
 ま、それはそれとして。
 昨日書いたように、上司への説明を急いでいるのには一つ理由がありまして、今年、私が受け持っているようなルーティンの仕事は、大概の場合、上司の関心を引くことはないからなんですよ。うまくいくのが当たり前なので、そういうものに上司自身が関与しなければならない、という意識が希薄になっている恐れがあるから、協議をお願いしても後回しにされることを心配したわけです。
 結果としては、今年は注視しなければならないという認識はお持ちいただいていたようで、すんなりと連休明けに協議していただけることになりましたけれども(でも、急な案件が入るかもしれないので油断は禁物ですけれども)。
 しかしながら、こういうルーティンの仕事というのは、「うまくいくのが当たり前」と思われがちなのが、つらいと言えばつらいですね。しかも、仮に何か問題が起これば、今まで関心がなかった上司本人の態度は棚上げにして、担当者が怒られるということが多いんじゃないかと思われるわけですよ。
 どうやら、昨年そんなことがあったようなのですが(前任者は話してくれないんですけど。話してくれないから、これまた私は上司の感触がわからずに手探り状態で困ってるんですけど)、自分自身が問題を起こしたならば、叱責されるのは当然ですが、前から問題の根が広く張っていたんだけど今までは表面化していないから見過ごしてきたという場合、そういうものが表面化したときにたまたま担当者になった人間だけを責めるというのはどうなのかなぁ、と思います。実際に見過ごしてきたのは前任者達ですし、その前任者を辿っていくと、怒っている当のご本人も含まれていたりするわけですから。
 話が少し逸れましたけど、問題の根が広く張ってしまう前に、いかにその根を絶つか、というのが大切ですよねぇ。
 やっぱり、問題の根が広く張ってしまうというのは、職員の怠慢に原因がある、と私なんかは思うんですけど。毎年実施している事業だからと言って、毎年「去年と同じようにやるだけ」ということを継続していると、いつかは問題が起こるんじゃないか、と思います。「去年と同じようにやるだけ」ということこそが、職員の怠慢だと思います。
 例えば、以前、情報サロンにいたときには、集まってくる資料を県民が閲覧できるように整理するということをしていましたが、この場合、「資料を整理すること」が仕事じゃなくて、「県民に県政情報をわかりやすく提供すること」が仕事だったわけですよ。資料整理は、そのための手段の一つに過ぎないわけなのね。だから、集まってくる資料を整理するだけじゃなくて、積極的にPRすべき事案や県民の関心が高い案件があるときには自ら情報収集をして、それを提供するように努めるべきなんですけど、そういうことができない同僚がいたんですよねぇ。
 目的を正確に理解して、その目的達成のために自分は何をするべきか、という問いかけがないと、仕事というのはただ形をなぞるだけのものになってしまうような気がします。そういうことが続くと、いつの間にか、全く世間のニーズから外れてしまった仕事をただ繰り返すという事態に陥るのではないかしら。「何か問題が起こる」というのは、そういうときなんじゃないかなぁ。
 ……などということを、つらつら思っている最近の私なのでした。
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素敵なタイミング

 明日はようやく休みですよ。この一週間忙しかったです。薩摩義士春季顕彰ではほぼ立ちっぱなしでしたし、体力的にも疲れました。
 一つ、遅くとも連休明け早々に(可能なら今月中に)課長に相談したい案件があったんですが、昨日、課長に上げることができまして、おかげで今日、さらに上に上げる段取りをすることができたので、ちょこっとホッとしております。
 他にも頭の痛い案件があるのですが、まぁ、これは何となく全体像が見えるので、この連休半ばの2日間で概ね方向性が出せるんではないかと思っております。
 以前もどこかで書いたかもしれませんが、自分のペースで進められる仕事については、多少事務量が多くても何とかなるんですが(極論をいえば、三日三晩寝ずの努力をすれば間に合う)、方向性が出ていない案件で自分の裁量がない場合、上司に何度も確認をしなければならず、時間配分がつかめないのが結構ストレスになります。そういう仕事なのに、終わりが決まっているものは、なおさら。
 これまで付き合ってきた人の中には、「○○について協議がしたい。明後日までに結論をください」などと言って協議を持ち込む人があったんですが、私が結論を出せることなら何も言いませんが、私が更に上司に協議しなければならない案件を、そういうスピード感で持ち込むという感覚が私には理解できないのね。急に勃発した案件の場合は仕方ありませんが、前々からわかっている案件ならば、自分の作業の時間をゆったり持つのではなく、少しでも早く協議に持ち込むべきだと思いますの。
 上司というのは、基本的に上に行けば行くだけ忙しいものですから、その忙しい人に対して、「自分の都合に合わせて協議の時間を確保してくれ」というのはムシがよすぎる要求だと思うのです。確かに“自分の案件”も重要案件だと思いますが、上司が抱えるその他の案件も、他の人の重要案件なんですよ。だから、上司に協議すべき案件を持っているときには、私は、時間的な余裕を持って、協議日程確保のお願いをしています。
 それに、上司から宿題をもらった場合などには、いつ上司から「この間の話を今聞かせてくれ」と言われるかもしれませんから、いつでも対応できるように、資料は完成していなくても、常に現地点の状態が説明できるように、説明用の資料を更新するようにしています。
 ただま、これも、自分が一担当のうちは自分の仕事だけをそういうペースでやっていればよかったわけですが、係員に自分のペースを当てはめようとしてもなかなかうまくいかないというのがストレスになります。
 「上司を自分の時間で動かそうとしてもできないんだから、上司に上げるべき案件は早め早めに動かなあかん。調査資料はいつでも最新の状態をキープして言われたらすぐに出せるようにしなくちゃあかん」というようなことを言って、資料の作成を急がせたり、完成形じゃなくてもいいので常に今の最新の状態を維持するように努めさせているわけですけれど、中には「まだ時間があるんだからいいじゃん(何を慌ててるんだ、こいつ)」とか「そんなこと言ったって、まだ基礎資料が全部集まっていないんだから、プレゼン資料なんて作れないに決まっている」などという顔をして、結局、やらない人もあるんですよねぇ。
 ときどき「自分がやった方が早いわ」と思うこともあるんですけど、仕事を取り上げるのはギリギリまで我慢します(本当に係員が手一杯で身動きできない状態になっているときには、分業を提案して、仕事の一部を最初から私がやることはありますが)。
 話が逸れましたけど、そういうわけで、昨日上司に相談できて、スケジュールについても上司に納得いただいて、「それだけ時間に余裕があれば、間に合うように上に相談できるから大丈夫」とも言っていただきまして、まぁ、要するに、私の手をちょこっと離れた状態になりましたのでホッとしましたの。
 ぶっちゃけて言うと、明日からの連休のため、仕事時間は事実上ストップするに等しい状態になると思われるので、課長への相談が今月中であろうと連休明けだったとしても、課長が更に上に協議するための準備期間はほとんど変わりません。けど、心理的な時間は確実に違ってくるので、可能であれば今月中に課長に上げたかったのね。
 なおかつ、そういうことなら課長に上げるのは今日でもよかったわけですが、今日は、課長は朝一番に打ち合わせが入っておりまして、その場で課長は更に上司の方々と顔を合わせるわけなので、そのときに「こういう案件でちょっと相談したい」と課長から更に上の人に言っていただくと、その後の協議にスムーズに入れるに違いないと思いましたのよ。
 タイミングって大事ですからね。忙しくてカリカリしているときに聞くのと、ちょっと余裕があるときに聞くのと、上司だって人間ですから、自ずと違いはあるはずですからね。

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治水神社

 薩摩義士春季顕彰については昨日書いたところですが、実は、先日、円成寺に行った日に治水神社にも行きました。円成寺から治水神社までの移動時間を確認したかったものですから。
 それだけなら、雨も降っていたし車から降りる必要はないわけですけど、人が多く出ていて華やかな式典当日の様子と対比させたかったので、ちょこっと写真を撮りました。
 全景はこんな感じ。
治水神社01 治水神社04 治水神社14
 社殿と社務所、大祭と顕彰式の案内告知。
治水神社12 治水神社02 治水神社13
 拝殿も社殿も既に顕彰式の準備万端という感じでしたが、社務所の雨戸は固く閉ざされていました。
 その他、境内には、薩摩義士の像もあります。
治水神社07
 大祭の日の朝、その像の前で記念写真を撮っている鹿児島県の人の姿を見ました。その様子に、薩摩義士の話は、鹿児島県の人にも浸透しているんだなぁと驚きました。

 神社の中には、昨日も紹介したとおり、あちこちに島津家の家紋がありました。
 幕も提灯も、社殿の屋根にも。
治水神社05 治水神社03 治水神社11
 で、何故か、ろうそくを立てる台だけ、平田家の家紋。
治水神社06
 それから、神社の裏手には、治水観音堂があります。
治水神社09
 治水神社ができた当時、祭神の合祀が許可されなかったので、治水神社の祭神は平田靱負1名とし、その他の工事で亡くなった人達のために建てられた御堂なのだそうです。
 春季大祭は、昨日紹介したように、神式で執り行われるのですが、秋季大祭はこの御堂で仏式で執り行われるのだそうです。
 この観音堂の屋根にも、島津家の家紋がありました。
治水神社19
 ちなみに、この観音堂の脇には、美濃の武士・内藤十左衛門の顕彰碑もあります。
治水神社20 治水神社21
 姉妹盟約15周年の記念植樹の松の木もありましたし、40周年の記念植樹や千本松原の松の木の松ぼっくりから育てられている松の木もありました。
治水神社10 治水神社16 治水神社08
 千本松原の松の木は、薩摩義士が工事終了時に故郷から取り寄せた松なんですよねぇ。松枯れの被害にあっているので、再生する運動もされています。
 多分、探せば境内&その周辺には、こういうものがたくさんあると思います。

 最後に。
 治水神社は薩摩義士を偲ぶ一番の地で、境内は非常に興味深いのですが、その立地がね、本当にユニークです。
 地図を見た飛騨出身の課長から「この三角の先にあるの?」と尋ねられましたが、本当にね、木曽川、長良川、揖斐川が合流する地点にありまして、治水神社のすぐ脇は、もう揖斐川です。
治水神社15 治水神社18
 反対側は、県道を挟んですぐ脇を長良川が流れています。
 境内(脇?)には、国土交通省の看板もあるのがなかなか興味深いです。
治水神社17
 その脇に、成戸と今尾(それぞれ、治水神社より10数キロ上流)の警戒水位を示す標識があるのも興味深いです。ここの土地はこんなに低いんですねぇ。
 天気がよければ、宝暦治水碑くらいまで歩いてもよかったんですけど、雨も本降りでしたからやめました。

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治水神社の春季例祭と薩摩義士春季顕彰

 先日、円成寺を見てきたという話を書いたところですが、本日が薩摩義士の春季顕彰でした。
 宝暦治水歴史保存会と薩摩義士顕彰会がそれぞれ主催して、同じ日に例祭と顕彰が行われるんですよ。場所は、治水神社です。
 鹿児島県の副知事は、この2つの式に知事代理で出席されるために来岐されたわけです。
 で。
 本日は私も行って参りました。
 式典開始前の治水神社はこんな感じ。
薩摩義士春季顕彰05 薩摩義士春季顕彰06 薩摩義士春季顕彰08
 普段は、社殿の中には入れませんが、今日はたくさんの椅子が並べられています。
薩摩義士春季顕彰01 薩摩義士春季顕彰03 薩摩義士春季顕彰04 薩摩義士春季顕彰02
 普段は固く戸を閉ざされている社務所も、全開で風を通し、掃除機がかけられていました。
薩摩義士春季顕彰07_2
 と、言っている間に、境内は人で一杯になっていたのでした。
薩摩義士春季顕彰13 薩摩義士春季顕彰21
 にしても、島津家の紋が入ったはっぴを着た人の多いこと、多いこと。
 この人達は地元や鹿児島県内の奉賛会の人だったり、鹿児島県人会の人達なのです。
 座り込んでいる子供達は、地元の小学生で、鹿児島からお出でになった人達に何やら聞き込みをしていました(グループ研修らしい)。
 と、言っている間に、境内に心男(平田靱負享年の50歳の男性から選ばれるそうです)を先頭とする行列が入って来まして、境内脇の県道をわいわいとお神輿が歩いてきて、お神輿はどんどん境内に入ってきます(一体何基あるんだ?と思うくらい)。
薩摩義士春季顕彰15 薩摩義士春季顕彰16 薩摩義士春季顕彰18 薩摩義士春季顕彰25 薩摩義士春季顕彰22
 最初は「あまりお神輿って感じじゃないな」と思ったんですが、お餅とかお酒とか、お米とか、神社に奉納するものを運んでいたようです。
 と、今度は、修祓という行事が始まりまして、それが終わると、皆さんは神職の方の後に続いて社殿に入って行かれました。
薩摩義士春季顕彰30 薩摩義士春季顕彰31 薩摩義士春季顕彰32
 中はこんな感じ。
薩摩義士春季顕彰33
 先ほど続々と運び込まれたお酒やお餅が、のぼり旗と一緒に飾られています。
 たくさんの席はほぼ満席でした。代表者が玉串奉奠するときに、皆さん自席で立ち上がって、一緒にお参りされるんですね。
薩摩義士春季顕彰35 薩摩義士春季顕彰39
 例祭と顕彰合わせて約1時間半の行事です。
 行事自体はこんな感じでしたが、驚いたのは鹿児島の人がこんなにたくさんお出でになっているということですよ。
 宝暦治水で世話になった我々地元の人間が薩摩義士を奉賛するというのはわかりますが、遠路はるばる鹿児島や関東地域、関西地域の鹿児島県人会などの方々が、岐阜県で開催される式典にこんなにもお出でになっているというのは素直に驚きでした。
 で、皆さん、式典終了後に長良川や揖斐川を見ながらお昼ご飯。
薩摩義士春季顕彰40
 今日は陽気もよかったし(黄砂が飛んでたけど)、ご先祖の治めた地を見ながらお昼ご飯というのは、なかなかよい趣向だと思います。
 というところで、ときどきやってますが、写真コレクションしたはっぴのデザインのいろいろをご紹介。興味のある人は写真を拡大していただくと、いろんなところから集まってきているのがわかると思います。
 中でも一番多かったのが、この水色のはっぴ。
薩摩義士春季顕彰07 薩摩義士春季顕彰23
 一見同じに見えますが、背中の模様は「千本松原だけ」のものと、波模様が入っているものの2種類あり。
 それに、正面を見ると、奉賛会のそれぞれの地名が入っていまして、これはかなりたくさんの奉賛会があったようです。
薩摩義士春季顕彰19 薩摩義士春季顕彰24 薩摩義士春季顕彰28
 背中の紋は島津家の紋ですが、正面の名称が入っているところには、平田家の紋が入っています。
 その他のはっぴは、こちらにずらずらっと載せておきます。
 一番多かったのは、背中に島津家の家紋。まれに千本松原の絵柄をプラス。
薩摩義士春季顕彰11 薩摩義士春季顕彰36 薩摩義士春季顕彰38 薩摩義士春季顕彰37 薩摩義士春季顕彰27 薩摩義士春季顕彰10 薩摩義士春季顕彰12 薩摩義士春季顕彰14 薩摩義士春季顕彰29 薩摩義士春季顕彰26 薩摩義士春季顕彰34
 変わり種としては、これ。平田家の家紋。
薩摩義士春季顕彰20
 それから、島津家と平田家の家紋を重ねたデザイン。カッコイイ。
薩摩義士春季顕彰17
 この赤い人は特別な人みたいでしたが、ちょっとわかりませんでした。
薩摩義士春季顕彰09

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南濃町のお菓子

 円成寺に行ったときに、実はお菓子を買いました。
 通過交通の通る場所ではないので私は知らなかったのですが、結構雰囲気のある街並みでしたの。天気がよかったら、車を駐めてしばらく歩いてみたくなるくらい。
 海津橋を東から西に渡って左に曲がったら、雰囲気のある古いお菓子屋さんが目に付きましたので、早速車を駐めてお菓子を購入。海津橋饅頭本舗という名前でした。
 正直言うと、今営業しているのかどうか、ちょっと危ぶむほどの雰囲気でした。がらがらとガラス戸を開けると、大きなベルが置いてあって、用がある人は鳴らしてくださいと書いてあるの。鳴らしてみたところ、出てみえたのはかなり年配の女性でした。
 かなーり昔のお菓子屋さんという雰囲気で、ショーケースにはお菓子はほとんど並んでません。草餅以外は見本だけ。そのうち、地名の入ったお菓子は3種類。
 買ったのはこの2つ。
南濃町のお菓子05 南濃町のお菓子04 南濃町のお菓子04n
 お店の名前にも書いてある海津橋饅頭(左)と海津橋草餅。いずれも110円。饅頭はこしあんで、草餅は粒あん。
 どちらも、あまり甘くなくて食べやすいお菓子でした。海津橋饅頭は、皮に個性があるのかと勝手に思っていましたが、私の舌では普通の上用饅頭のように思えました。
 最中もありましたが、最中は「買うならこれから餡を詰める」ということでしたので、遠慮して買わなかったの。
 饅頭もショーケースには見本しかなくて、1個買ったら奥からラップにくるんだものを持って来てくれました。
 海津橋饅頭本舗という店の名前や、建物の雰囲気、かなり昔からデザインが変わっていなさそうなお菓子の形状から察するに、多分、昔から何一つ変わらずに営業されているお菓子屋さんであろうと想像します。草餅の包みに描かれている欄干は、昔の海津橋のデザインでしょうか。
 この辺は昔は、川を渡るためには渡し船が一般的だったでしょうから、橋ができてかなり交通が盛んになっただろうし、橋の開通は衝撃的だったんじゃないかなぁと思いました。
 ただま、この海津橋饅頭本舗は、名前に“海津橋”と付いていますが、位置的に水運の時代から栄えていたお菓子屋さんなんじゃないかなぁ、と勝手に想像します。まちの感じからしても、この辺に川湊があったんじゃないかなぁと思うんですよねぇ。歩いてみれば、多分、そういう遺構も見つけられるんじゃないかと思うんですけど(いやま、勝手な想像なので、全然違ってるかもしれませんけども^^;)
 それにしても、多分、有名なお菓子なんでしょうけど、草餅も含めてパッケージを見る楽しみがないのが残念。昔は、誰でも知っていたから、海津橋饅頭を箱に詰めて、のしを付けていけば、見ただけで「おお、海津橋饅頭か!」と歓迎されたんでしょうね。

 この街並みにお菓子屋さんがもう一軒あったので、こちらにも立ち寄ってみました。こちらは、各地の商店街でよく見かける感じのお菓子屋さんでした。ひさごやという名前でした。
 “いしづ野”、“いしづ栗”、“南美濃”というお菓子が並んでいましたので、「“いしづ”というのは、このまちならでは、の名前らしい」と察しが付いたのですが、意味がわからないのでお尋ねをしたところ、「“いしづ”というのは、この辺りの昔の地名なの」だそうです。近くに、石津駅という駅もあるそうです。
 ああ、そうなんだ、と思いつつ、自分が全くよそ者であることを暴露しちゃったわけですが、「地名が付いたお菓子っていいですねぇ」と言いながら、上に挙げた3つのお菓子を買いました。
 お店の男性は、「石津が南濃になって、今度は海津市になっちゃったけどね。お菓子の名前を付けるときには、そういうのも考えながら付けるの。でも、名前もだけど、うちのお菓子は『一つずつに店の名前が書いてあるからいいねぇ』と言われますよ」などと言いながらお菓子を袋に入れてくれました。
 お使い物にするときには、自宅近くのお菓子屋さんで買って行かれるので、近所の人に喜ばれているそうです。以前、さびれた商店街にもお菓子屋さんはちゃんと残っていることについて、少し書いたことがありますが、やっぱり近所のお菓子屋さんを利用する人が多いんですよねぇ。
 ちなみに、「うちのお菓子は『一つずつに店の名前が書いてあるからいいねぇ』と言われます」というのは、変なことを言うなぁとそのときは思ったんですが、ひょっとしたら老舗(?)の海津橋饅頭本舗との比較で、そう言われたのかもしれません。
 で、ようやくそのお菓子ですが。
南濃町のお菓子01 南濃町のお菓子01n
 まずは「いしづ野」。110円。
 つちや(大垣市)の「おゝがき」のようなお菓子(わかる人にしかわからない説明・笑)。ふわふわのスポンジに粒あんが挟まれています。
 でも、普通のあんことちょっと違う感じなので、包み紙を見たら、原材料のところに「菜豆」と書かれていました。調べてみたところ、インゲン豆のことのようです。
 豆を甘く煮たものという感じのあんこ。生地もあんこもかなり甘いです。
南濃町のお菓子02 南濃町のお菓子02n
 こちらは「いしづ栗」。160円。
 小麦粉ベースの生地の中に白あんと丸っと甘く煮た栗が入っています。渋皮煮みたいな味の栗でした。
南濃町のお菓子03 南濃町のお菓子03n
 「南美濃」。140円。
 「なごやん」みたいなお菓子で、ナカミは白あん。
 写真もすでに崩れていますが、ちょっと力を入れると、ぽろぽろと崩れるくらいに柔らかいお菓子でした。食べやすい甘さです。
 お菓子のデザインは何のマークか知らないままに写真を撮ったので角度がおかしいのですが、南濃町の町章でした(「な」の字を図案化)。
 ちなみに、これも原材料のところに「菜豆」と書かれていました。
 こだわって菜豆を使っているお店なんでしょうかね。他のお菓子を買っていないので、その辺はわかりません、残念ながら。

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円成寺

 雨でしたが、南濃町にある薩摩義士のお墓があるお寺に行ってきました。
 4月から広報課に配属されたわけですが、岐阜県と鹿児島県の姉妹県交流も担当していますの。
 今度、治水神社で開催される薩摩義士慰霊祭に参加するために、鹿児島県から副知事が来岐されるんですが、その行きや帰りに薩摩義士の葬られているお墓のあるお寺に立ち寄られるのが恒例になっているようです。
 今年は、南濃町にある円成寺にお墓参りに行かれるので、自分でも見ておこう(お参りに行ってみよう)と思いましたの(私は同行しませんけど)。
 羽島市から桑名市の辺りまでの広い範囲に、薩摩義士の葬られているお寺が点在しているということは知っていましたが(一部のお寺は場所も知っていますが)、そのどこにも行ったことはなかったものですから。
 せっかく担当になったので、時間を見て少しずつ歩いてみたいと思っています。以前、輪中などの土木遺構についても結構熱心に見て回った時期もあったんですが、ブログを始める以前のことなので、今度はブログで紹介することを目的に、そういうところについてもまた歩いてみたいと思っています。
 で、円城寺ですが。
 行ってみてちょっとびっくりしました。
 薩摩義士が葬られているお寺のうち、人数だけを見るとかなり大きな規模なので(13人)、勝手に結構大きなお寺で華やかに祀られているところを想像していたのですが、かなり小さなお寺でしたの。
 こういうところにひっそりと眠っているんだなぁと思ったら、以前から薩摩の方々には本当に申し訳ないという気持ちでいたところが、一層そういう気分になりました。
 私自身は、小学生の頃に岸武雄の『千本松原』を読みましたし、父に連れられて何度か治水神社にも行ったことがあるので、千本松原と薩摩藩士のお手伝い普請などについて、まぁ、普通に子供の頃から知っており、「岐阜県人は、みんな、小学校で千本松原の話を教わるものだ」と勝手に思い込んでいた時期がありましたが、以前、飛騨出身の友人を連れて行ったときには「何もかも新鮮!」という反応を示したんですよねぇ。
 実は、今の課長も飛騨地方出身なので、同じような反応をされていまして、もう随分と昔、友人が見せた反応を思い出したところでございます。
 閑話休題。
 で。円成寺ですが。
円成寺06 円成寺05
 門(?)のところに立っていた石柱には「寳暦治水薩摩義士終焉之地」と彫られており、お堂の前に建っている石柱には「史蹟 薩摩工事義歿者の墓」と彫られていました。
 寺域の一角に島津氏の家紋が彫られた石で囲まれたエリアがありまして、その中に、一人ずつのお墓がありました。
円成寺01 円成寺02
 一瞬、「撮ろうかな」と思ったのですが、お参りに来たのに浮かれてお墓の写真を撮るというのにちょっと抵抗を感じましたので、ちょっと離れたところから全体の写真だけを撮りました。
 先ほど「寺域の一角」と書きましたが、お寺のお堂の脇に「活乃義士」(でいいのかな?)と書かれた鳥居がありまして、正確にはお墓はその鳥居の向こうにあったのが、実はちょっと疑問。
円成寺03 円成寺04
 更に向こうにはお稲荷さんもありましたので、犠牲になった藩士の皆さんを神様として祭っている神社なのかな、とも思ったのですが、どうやら普通の稲荷神社のようでした。

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陶芸教室(?)

 今日も月に一回の陶芸教室(?)に行ってきました。
 ずっと作っていたおひな様が、ようやく今日、焼き上がっていました。
陶芸教室(?)20120421_01
 おおーっ。結構イイんじゃない?
 理想どおりではありませんでしたけど、それでも、これまで焼いていただいたものの中で、初めて「結構イイ感じw」と思いました。
 一緒に行っている友人にもほめてもらいまして、うれしくなりました。
 と、ひとしきり感激した後に、「あれ?でも何か少ない気がする」と思いまして(焼く前に撮った写真はこちら)、先生にお聞きしたところ、窯に入りきらなかったので、今焼いている(今日は窯に火が入っていた)ということでした。
 おひな様は、おかげで、形もゴスの色塗りも、大体、感じがわかってきたので、今度はさらにマジメにおひな様づくりに取り組んでみてもいいなぁと思いましたことよ。
 で。
 今日は何をしたかというと、先月、暇つぶしにちまちま作ったこの子達の色つけ。
陶芸教室(?)20120421_02
 色を塗った後の写真も撮ったつもりでしたが、撮ってませんでした…。
 それから、先月、作った背の高いぐい飲みの高台を作りました(これも写真撮るのを忘れてました)。

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美濃市・登美家のお菓子

 先日、美濃市に行った際に購入したお菓子の紹介をします。
 あまり熱心にチェックしている時間がなかったので、見つけたお菓子屋さんは一軒だけでした。
 最近めっきりイマドキの観光地化した美濃市で、しかもこのお店も小ぎれいに改装されていたのに、あまり美濃市らしい名前のお菓子はありませんでした。
 で、買ったのはまずこれ。
美濃市・登美家のお菓子02 美濃市・登美家のお菓子02ナカミ
 「小倉最中」。120円。
 最中というと、私がこれまでに一番美しいと思ったのは兼山町の蘭丸という最中ですけど、最中は大抵どれもこれもデザインが凝っているので見るのが楽しみです。でも、この最中の模様は、何だろう、これ。
 美濃市には小倉山城ってのがあるので、てっきり、その城主の家紋かと思って調べてみたのですが違ってました。小倉山城の“小倉”かと思ったんですが、小倉あんの最中というイミなんでしょうかT_T
美濃市・登美家のお菓子01 美濃市・登美家のお菓子01ナカミ
 それから、もう一個買ったのは「うだつ焼」。110円。
 どら焼きの皮を半分に折ったような形をしています。
 パッケージにはうだつを横から見た絵が描かれていまして、お菓子本体にもうだつを正面から見た絵が描かれています。
 なぜか生姜風味で、多分、皮に生姜が入っていると思います。

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大きく見せようとする人

 今週に入ってから、お疲れ気味でございます。
 今日、会った同期からは「タフな美鈴ちゃんが、どうしたの?」と言われました。
 熱心にブログをお読みになっている方は、「土日に遊びすぎだ」とお思いになるかもしれませんが(まぁ、そのとおりなんですけど)、仕事がね、疲れる…。精神的にね、疲れてます…。
 先週も書いたんですけど、今度はそれとまた別のことで疲れてます。
 これまでにも書いていますけど、私はね、やったことがないとか知らないということ自体を責めることはしないし、馬鹿にすることもありません。これまでそれを知る機会や体験する機会がなかったというだけのことだから、これを機会に体験したり身につければいいと思っていますから。自分自身もそうしていますし、係員や他の課の職員についてもそのように思っています。
 だから、私自身は、知らないということをもって、係員や他課の職員を責めたり馬鹿にしたことはありません。自分については、これまでに何度か馬鹿にされたり責められたりしたことはありますが、「今までそういう部署にいなかったんだから、知らないことは恥ずかしいことじゃない」と思うようにしてきました。さっきも書きましたが、これを機に覚えればいいことです。何度もチャンスがあったのに未だにできないということではなく、今まで知る機会や経験する機会を与えられなかっただけです。
 私が軽蔑するのは、わからないということを隠す人です。
 わからないのならば、上司に聞くなり、前任に尋ねるなりして、何とか滞りなく事務ができるように努力すればいいのに、それをしないで、「いや、大丈夫ですから」「できますから」とか「○○が先方から届かないからまだ資料はできていませんけど、届けばできますから」などと言いつつ、実は何もやっていない、というのは最悪です。
 実は新しく出会った人で、「大きいこと」を言う人がいたので、「これは要注意だな」と思っていたところ、案の定、このタイプでしたの。
 「そんなに大したことでもないじゃん」ということを、大きく言う人は、自分を大きく見せたがる人なんじゃないかな、と私は思っているわけですが、こういう人は「できない自分」を認めないので、つきあいづらいんですよねぇ。
 能力的には、それなりにできる人が多いと思うんですけど、だからこそ、自分には能力がある、同期の○○さんには負けない、などと思っていて、自己アピールをしてるわけですけど、実際には「それなりにできる」というだけで「特に優れている」わけではないと思います。
 こういう人は、自分からは相談してこないので、様子を見ていてその都度声をかけてきたわけですけど、その都度、言い訳ばかりで肝心の資料が出てこない。「やってる」と言ってるけど、これは絶対にやってないぞ、と思ったけれど、きつく突き詰めて彼の逃げ道をなくしてしまうと、ちゃんとできている仕事にも多分影響しますから、口のきき方とか、気を遣うんですよねぇ。
 まぁ、結論から言うと、やっぱりやってなかったんですけどね。
 何度も言葉を変えて言ってきて、我慢できる限界まで待って、結局、これ以上我慢したら他に影響が出るという時点で、諦めて私が対応しましたけれども。どこに基礎資料があるかわからないから、探るところから始めて、資料(完成品)を作るのはかなりしんどかったですよ。
 もしかすると、私と年が近いので、私と対等であるために、無意識にそういう態度をとっているのかもしれませんが。
 直属の部下なら、年が近かろうと何だろうとビシッと言えますけど、そうじゃない人なので、対応に困るんですよねぇ。

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美濃まつり・美濃流し仁輪加(その3)

 流し仁輪加については、昨日、大体書きましたので、今日はメインじゃなくて周辺情報を、備忘録がてら少しだけ書いておきます。
 仁輪加を演ずるときのお約束事についてはこの間書きましたが、流すときのスタイルは、大体こんな感じ。
美濃流し仁輪加44 美濃流し仁輪加46 美濃流し仁輪加49
 先頭が車。大きい太鼓と小さい太鼓(2~3個)、提灯を付けた松の枝を乗せています(お酒なども乗ってる)。
 その太鼓に続いて、鼓や笛、演者が並んで歩きます。
 結構車が通っている国道だってお構いなく堂々と歩いているのが、スゴイなぁ。
 夜になるとうだつの上がる街並みは自動車の通行は禁止になるんですが、その他の地域では規制がないので、上演中、車の通行を止めるための赤い誘導灯を持った人が交差点に立っている姿も見ました(この写真では、ちょうど誘導灯が隠れてしまってますけど)。
 車にも、ちゃんと誘導灯が乗っているのが見えます。
美濃流し仁輪加56 美濃流し仁輪加53
 で。
 この車ですけど、大八車が多いようですが、リアカーもありました。
美濃流し仁輪加06 美濃流し仁輪加52
美濃流し仁輪加55 美濃流し仁輪加59 美濃流し仁輪加62
 明るいうちは松の木と提灯の意味がわからなかったのですが、夕闇が深くなってくると、――わかりました。
美濃流し仁輪加63 美濃流し仁輪加64 美濃流し仁輪加68
 かなりイイ雰囲気なんですよ。
 世界が闇になると、静かな街中に、遠くの方からお囃子の音とともに、赤くゆらゆら揺れる提灯が近づいてくるんですよ。で、各町の“ステージ”に立って、観客に笑いを提供して、また赤い提灯をゆらゆらさせながら去っていくわけですよ。
 春の少し肌寒い夜に、熱燗をちびちびやりながら、そういう様子をずっと見ていたいねぇ、という風情です(私は熱燗はちと苦手ですが(苦笑))。
美濃流し仁輪加67 美濃流し仁輪加32
 次に紹介するお道具は、これ。
美濃流し仁輪加05 美濃流し仁輪加41 美濃流し仁輪加43 美濃流し仁輪加48 美濃流し仁輪加54 美濃流し仁輪加57 美濃流し仁輪加66
 寄席の“めくり”みたいなもので、仁輪加を演じる各町内の名前が書いてあって、“上演”が終わると裏返されるわけです。
美濃流し仁輪加50
 これも町内でごとに、いろんな形をしていました。作られた年代を思わせるデザインで、なかなか興味深いです。

 デザイン的には、最も目を引くのは幕なんですけど、これは、“ステージ”になっていない普通の家でもかなりたくさんの家にかけられていまして、うだつの上がる家々の歴史を感じましたね。
美濃流し仁輪加03 美濃流し仁輪加08 美濃流し仁輪加10 美濃流し仁輪加38 美濃流し仁輪加39 美濃流し仁輪加40 美濃流し仁輪加47 美濃流し仁輪加51 美濃流し仁輪加58 美濃流し仁輪加60 美濃流し仁輪加61 美濃流し仁輪加65
 もちろん、“ステージ”に掛けられる幕は、個人ではなく町内で所有しているんでしょうけど。

 で、こういった道具類を保管していると思われる建物が、どうやら各町内にあるみたいです。
 先日、初めて見た仁輪加を紹介しましたが、その仁輪加が出発するところに遭遇したとき、私は、みんなして誰かの家に集まっていて、そこから出発したんだと思いました。でも、どうやらそれは違う、ということに気づいたのは、2つめの一団を見かけたときです。
美濃流し仁輪加42 美濃流し仁輪加45
 ね。同じような感じの建物でしょ。
 公民館というよりは、仲間の集会所という感じなんでしょうけど、多分、1階に道具類を保管してあって、2階で仁輪加やお囃子の練習をしたり、ネタについて議論したりするんだと思います。
 町内でこういうものを維持しているというのが、素直にスゴイなぁと驚きでした。

 流し仁輪加について書くのは今日で終わりにしますが、上に書いたとおり、各町内の歴史や地力に感服したことの他に、驚いたことが一つ。
 流し仁輪加を上演している時間帯の静かさね(上の方でも書きましたが)。
 お祭りというと付きものの、露天商などの姿が皆無なんですよ。やってる店も、市観光協会の観光案内所兼売店(コンクール会場のはす向かいにある。飲食を提供していない)とイオン、コンビニなどの店舗、一部の飲食店のみ。要するに、観客のための商売は誰もしていないわけです。
 おかげで、暗闇と静寂が保たれているわけですけど、こりゃ、スゴイなぁ、と思いました。多分、敢えて出店させていないんでしょうから。

【過去の関係記事】
美濃まつり・美濃流し仁輪加(2012/04/15)
美濃まつり・美濃流し仁輪加(その2)(2012/04/16)

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