『恩讐の彼方に』のモデルとなった洞門が耶馬渓にある青の洞門なのです。
何度も書いてるように、『恩讐の彼方に』は私、結構好きなお話で何度か読み返している(短いのですぐ読めるし)うちに、一度、青の洞門に行ってみたいなぁと思うようになりました。でも、大分県って遠いのよね。新幹線のルート上でもないし。
できれば、洞門が開通した9月か、実之助が親の敵に出会った2月とか、日を選んで行きたいと思っていたのですが、そんなことを言っていると全然行けないので、思い立って、2016年12月23(祝)~25(日)の三連休を利用して行ってきました。
色々見てきましたけど、まずは青の洞門についてだけ書きますね。
公共交通機関では不便なので(下手すると帰りのバスがなくなる)、中津駅前でレンタカーを借りて行ってきました。朝早く出たので、12時少し前に青の洞門駐車場に着きました。
車を降りると、もうそこは洞門の彫られた競秀峰のすぐ脇です。

おぉぉぉぉ (*゚Д゚*) いよいよ来た。
駐車場の河川敷側に公園っぽい敷地があったので、まずはそこから崖を眺めてみました。


確かに、すごい崖です。
寒々しい日でしたが、この日は崖の向こうに虹が見えたので、ちょっとうれしかったです。

この辺が鎖渡しの跡じゃないですかね。


ひぃぃぃぃぃ(|||゚Д゚)、想像以上に高いところでした。足下の幅がどれくらいあるかわかりませんけど、仮に道幅1mあっても足がすくむと思います。
以前、中山道の巌屋坂(岩屋観音付近)を歩いたときに「こりゃ、フェンスがないと怖くて歩けんかも」と思いましたけど、きっとその比ではないですよね。狭いところは、道に見えるかどうかも怪しい気がします。ただ、馬は通っていたみたいなので、ロッククライミングばりの狭さでもなさそうです。
下の方には、トンネルの開口部や明かり取りの窓が見えますね。

公園には、トンネルを掘った禅海和尚像とその脇に菊池寛の肖像。



『恩讐の彼方に』の了海は「人間とも死骸ともつかぬ」ほど肉が削げ落ちて骨と皮だけになっている描写がされてますので、私は即身仏みたいな姿を想像していました。けど、この禅海和尚像はそんな感じじゃないですね。
まぁ、『恩讐の彼方に』の方はかなり脚色をされているので(実話じゃなくて実話にヒントを得たお話だし)、全く同じではないというわけですね。
真下から見上げると、崖はこんな感じ。



というところで、気になったのは、想像していたよりも空が広いということです。

耶馬渓という名前とか、鎖渡しとか、30年もかけてトンネルを掘るとか、そんな話を聞いていたので、てっきりV字の峡谷なのかと思っていたのですが(対岸にも切り立った崖がある)、対岸なら通行はそんなに大変ではなさそうなのでした。
それなら橋を造って対岸に渡ればよかったんじゃないかしら、と思ったんですけども(そんなに広い川でもないし)、河川が今の形と違っていて昔は技術的に架橋が難しかったのか、昔は橋が架けられない政治的な理由があったのか、どうなのかなぁと思って調べてみたけど、よくわかりませんでした。
意外と話が長くなってしまったので、今日のところはここまでにします。
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